ニュース

ニュース

最新ニュース

これから開催するイベント

2000年春 ダライ・ラマ法王来日関連ニュース

Print Friendly, PDF & Email
(Kimimasa Mayama/Reuters)
(Kimimasa Mayama/Reuters)

 

  • 4月24日「カルトと若者」ダライ・ラマとの対話を通して


    2000年4月24日
    東京新聞より抜粋

    ダライ・ラマ法王の手は、思いの外ずっしりとしていた。18日に都内で行われた記者懇談会の後、法王は、壇から降りて私の方に歩み寄り、微笑みながら右手を握られた。この予想外の出来事に、他の記者たちもわっと法王の周りに群がり、握手を求めた。

    ◆◆ 自分で調べ、自らの頭で考える尊さ ◆◆

    懇談会で私は日本に蔓延しているカルト問題について質問をした。これまたいささか意外であり、印象的だったのは、その回答の中でダライ・ラマ法王が「study 研究する」と「investigate 調査する」という2つの言葉を最も頻繁に使っていたことだ。「learn 習得する」や「believe 信じる」ではなく、自分で調べ、吟味することの大切さを、法王は繰り返し強調した。

    記者懇談会だけではない。その前週に行われた仏教講演会のおいても、この2つの言葉の重要性が熱を込めて語られた。双方の機会での法王の発言は、おおむね以下の通りである。
    「人が幸福になるには、必ずしも宗教が必要だとは思わない。が、1つの宗教を信仰するのであれば、まずは正統に継承された教えを勉強すること。経典に書いてあるから信じるのではなく、分析的に確かめ、なぜこれが必要なのか、自分の頭でゆっくり考えることだ。そして、土台をしっかり築いて段階的に進むことが大切で、いきなり密教の修行に飛びつくべきではない。ましてカルトは危険である。師についても、その人が正統な教えを正しく継承しているか確かめ、その人格を含め、あらゆる角度から十分に調査することが必要だ。信じる前に、まず研究せよ。教師然とした態度をとる者には、警戒すべきだ」

    自分で調べ、自分の頭で考える−まさにこういう力やそのための時間を、カルトは人々から奪っていく。

    例えばオウム真理教の場合、一連の凶悪事件当時ばかりでなく、今に至っても信者たちは、麻原彰晃こと、松本智津夫を客観的に検証し、吟味することができない。謝罪についても、何がどう間違ったのか、1人ひとりが考えて行動するのではなく、信者たちは教団が指し示す方向に付き添っているだけだ。

    ただ、彼らすべてが元々モノを考えない人間だったわけではない。むしろ、自分の生き方や夢、人類の行く末などについて考え込むタイプだった人が多いと答えるかもしれない。

    経済的な豊かさは、人々に考える機会や時間をもたらした。職業選択も、「食うため」というより、より意味のある、より自分らしい人生を生きることを中心に考えることができる。それ自体は、素晴らしいことだ。

    しかし、人生をかけてやりたいこと、人生の意味や目的、自分の使命などは、そうそう簡単に見つからない。そんなモヤモヤとした不安、不安定さを抱える若者に、オウムは、生きる目的は「悟り・解脱」であると、唯一絶対の回答を提示してみせた。さらには「人類救済」という大きな使命も与えた。

    確かにそれは魅力的だったろう。が、それにしても、なぜ彼らはオウムのようなカルトに飛び込むことに、もっと慎重になれなかったのだろう。どうして、信じ込む前に自分で検証し、分析し、考えなかったのか。

    ◆◆ 「回答」第一の日本の教育にも原因 ◆◆

    実は、こうしたことは、日本の若者たちの多くが苦手とする作業かもしれない。そもそも、1つの回答が用意され、いかに早くそこに到達するかという競争ではなく、すぐに答えが出ない問題、そして回答が決して1つでない課題について、自分で吟味し考える訓練や機会が、日本の教育の中でどれだけ提供されてきただろうか。カルト問題は、私たちが「考える」ことをおろそかにしてきた結果と言えるかもしれない。

    法王の訪日に関しても、政治的な立場や発言ばかりが報じられているが、こうしたメッセージが込められた意味こそ、私たちはもっと重く受け止めるべきではないだろうか。

    江川 紹子(ジャーナリスト)

     

  • 4月20日ダライ・ラマ 毛呂山町の埼玉医大で講演


    2000年4月20日
    埼玉新聞より抜粋

    チベット仏教の最高指導者で、ノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ14世が19日、入間郡毛呂山町の埼玉医大で講演した。ダライ・ラマ14世の同大の訪問は1967年以来、2回目。同大との縁は、創立者の故丸木清美前理事長が難民支援でチベットの子どもたちを日本に招いて教育したのがきっかけ。多くのチベット人が同大で学び、医師や看護婦として活躍している。同大の講堂で行われた講演では在日のチベット人を含む約350人を前に、「心と平和」について約40分間、チベット語と英語で語った。

    ダライ・ラマ14世は「人の一生で1番大切なものは、人に対する愛といたわりと優しさ」と述べ、「心の平和を生み出す薬を作ってくれれば、私も日夜励んで祈らなくて済む」とユーモアを交えつつ、「お金や政治では本当の心の安らぎは得られない。鍛錬することで幸せを達成してほしい」と話した。

    会場外には入院している患者など数百人がひと目見ようと集まり、会場から退出する14世に握手を求める人もいた。

     

  • 4月18日ダライ・ラマ法王来日合同記者会見


    2000年4月18日
    ホテルオークラ

    ダライ・ラマ法王:

    まず質問の前に。ご存知のように、私は訪問する先々で、人間が持つ価値を高めるために何らかの貢献をしようと努めている。それはなにも、私自身、自分が特別な存在であると意識しているからではない。考えてもいないことだ。私もひとりの人間だ。ただ、人類、とりわけ人類の将来を気にかけている。すべての人間は、他の人のために対して何らかの責任と可能性を持っている。だからこそ、私は人間の価値の素晴らしさを多くの人々に気付いてもらうために努力を惜しまない。

    また、異なる伝統的宗教間の理解が深まるよう、専心している。この点については、実際何らかの貢献ができたのではないか、と考えている。

    さらに私が力を注いでいるもの、それはチベット問題である。まず、私自身がチベット人で、そしてダライ・ラマであるからだ。故に、私にとって最も重要な存在は、チベット内外を問わず至るところで生活を送っているチベット人たちなのである。彼らは私に全信頼を寄せており、チベット人のために何かすることは、私にとって道義的に果たさなければならない責務である。

    さて、今回の訪日は、京都精華大学の招聘で環境問題と人間のあり方に関するシンポジウムに参加するためのものだ。この他、東京で2日間ダルマ (仏法) に関する講演を行ったことも申し上げておく。この数日間は私にとって非常に喜ばしいものであったし、これらの場において、役に立つことができたのではないかと感じている。記者の皆さんは、現在のチベット問題についてもっと聞きたいのではないかと思う。ただし、今回の訪日は政治的なこと以外を目的としており、私から特に言うことはない。しかし、どうしてもと言うのなら、質問をお受けしよう。

    質問:

    今回の訪日では、当初予定された石原東京都知事との会談がキャンセルになったが、その経緯とキャンセルの理由、また猊下が日本での活動の制約を受けていることなどについての感想もお聞きしたい。(NHK)

    ダライ・ラマ法王:

    私の訪日スケジュールが最終決定する前、都知事から招待が来た。誰かが私に会いたいならば、どのような経歴の人であっても私は喜んで会う。また、都知事はチベットに関しとても好意的な意見を幾度か述べており、都知事と会うこと自体、私にとって喜び以外の何物でもない。しかし、実際会うとなるとあまりにも多くの政治的な事柄が関係してきた。既知の間柄である人物と親交をあたためるために会談するのであれば何ら問題はないはずだ。そのような会談は政治とは無関係だから。

    けれども、今回の会談では、話し合いのテーマとして政治的な事柄が挙がってしまい、会談そのものが複雑な政治的意味合いを含むものとなってしまった。第一に、今回の私の訪日は政治的なこととはまったく無関係なものだ。

    また、政府関係者はもちろん、その他の人々の事情を考えると、迷惑となるような行動は慎まなければならない。京都精華大学にとっても不都合な状況になると判断され、また将来、都知事には会う機会はあるだろうし、今回の会談は見送るという結論に達した次第である。

    もうひとつの質問に関して、私から言うことは特にない。ただ、記者の皆さんにお願いがある。事実確認の際には充分注意を払ってもらいたい。そうすると実際の状況がどうなのか明確になるだろう。それは、私自身にとっても大変に有益になる。一言付け加えるならば、私のビザ発給が難航していることを知らされた時には、「おやおや、日本の政府は少々慎重すぎるのでは ?」 というような感想を持った。

    質問:

    今回の来日中に法王はどのような方々と交流されたのか。また、新たに友人となった人は?過去の来日以来、日本に新たな発見はあったか。
    (朝日ニュースター)

    ダライ・ラマ法王:

    今回、若い世代、特に学生たちの中から新しい友人ができたと感じている。私の講演を聞いた人たちの態度には感心させられた。特に若者たちの態度に、大きな思いやりと心を開き友好的になろうとする様子がうかがえた。人間の価値を真剣に学ぼうとする姿勢も見られた。とてもいいことだと思う。

    そう、新しい発見と言えば、髪を金髪に染めた子が増えたかな。(笑)そこで、私自身も日本に長く滞在したら、髪を染めたくなるかもしれないと思い、金髪の若者に聞いた。

    「 (髪の毛の) 色を変えるとすると、一体私には何色がいいだろうか」
    「緑色がよろしいでしょう」と答えが返って来た。思わずそれを聞いて笑ってしまったよ。実は、緑は私が一番好きな色なのだから。(笑)

    ここで私が言いたいのは、外見、髪型、服装などは、重要なことではないということだ。大切なのは、人間の内なる資質、つまり人間の価値そのものである。日本人には、受け継がれてきた伝統的で豊かな文化遺産がある。そのような豊かな文化遺産を後世に伝えていくことを怠ってはいけない。欧米からテクノロジーを導入することも、もちろん素晴らしいことだが、自分たちの文化遺産、精神的な拠り所を継承してくことも、非常に大切なことだ。

    質問:

    日本には、カルト集団と呼ばれる団体がいくつもあり、多くの若者が、人生の目的、あるいは生きがいを求めて入っている。この問題について、カルトと真の仏教と見分けるにはどうしたらいいか、また師と弟子のあるべき関係についてアドバイスを頂きたい。(フリージャーナリスト江川詔子氏)

    ダライ・ラマ法王:

    大変よい質問だ。宗教から離れるか信仰を続けるかは、個々人の判断、個々人の権利に拠るべきと私は考える。また、人間の幸福のために必ずしも宗教が必要とは思わない。

    もし伝統的な宗教の信仰を希望するのであれば、たとえば、仏教、キリスト教、イスラム教、あるいはその他の主要な宗教を通じて精神的な向上を目指そうとする場合、当然ながら正統な教典に基づき、伝統的な、そして注意深く書かれた宗教的な教えに従う必要がある。このことは大変重要だ。

    伝統的宗教の教義をあちこちから部分的に取り入れて作り上げられた、いわゆる「ニュー・エイジ」と呼ばれる新しい類の宗教は、本質的には大変危険なものではないか。特に私たちがカルトと呼んでいる宗教には、非常な警戒心を覚える。

    仏教の一僧侶の立場から仏教について述べると、ブッダの教えに従うこと、その次にナーガルージュナ、アサンガ 、アーリヤデーヴァ などの真の高僧たちの教えに従うことが、とても大切である。このような高僧たちは本当に信頼できる仏教の導師である。時として、誰も認めていないのに自らを導師であると語るような者たちもいるが、このような輩は大変危険であると言わねばならない。充分に注意する必要があるだろう。

    次に師と弟子の関係について。ブッダは、師となるためにはどのような資質が必要であるか、誰にでも理解できるよう明確に示した。だから、そのような資質を持つ者だけがグル (導師)、つまり師と見なすことができるわけである。

    カルト、あるいはまがい物の教えから逃れるためには、そして本当の資質を備えた師を見つけるには、ブッダの正統な教典を学ばなくてはならない。このことは非常に重要である。最初から信じ込むのではなく、まず学習し、充分な知識を得たあとで、「この人物が語っていること、示していることは何か 」 と判断を下す。(その人間の言動が)仏教の経典に正しく基づいているかを確認する。すなわち、本当に師として適切な人物であるのかを吟味することが大切である。事細かに観察した結果、その人物が本物と判断できたなら、師として信頼してもかまわないと思う。

    こうした弟子のとるべき態度は報道メディアにもあてはめるられる。メディアは、宗教のみならず、ビジネス、政治においても常に調査し、それに値しないと判断すれば、情報を公開するという重大な任務を負っている。

    質問:

    ビルマ(ミャンマー)の軍事政権は中国政府と密接な関わりを持っている。こうした背景で、ビルマでは、ダライ・ラマ法王の名前も写真も目にすることができない。これについてはどう思われるか?(ラジオ・フリー・アジア)

    ダライ・ラマ法王:

    そうなのかい?今初めて知ったよ。ノープロブレム!(笑)私の求めるのは、チベットの独立ではなく、完全な自治であり、本来、中国側も同意できるものである。中国政府が求める国家の安定と民族の団結に貢献できると考えている。我々チベット人は、決して「反中国」ではない。

    5年前だったか、ビルマの軍事政権がアウン・サン・スーチー女史に柔軟な姿勢を示した時、私は軍事政権に書簡を出した。その返事がなかったのは、そういったビルマの状況があったからかもしれない。 個人間であろうと、国家間であろうと、意見が異なった際にはよく吟味しなければならない。行動や政策に対して、それが不誠実で正しくないものであれば、全力で抵抗しなければならない。しかし、その抵抗は人間であるその当人自身に直接向けられてはならない。

    質問:

    先週末NKホールで猊下のお姿を拝見することができ、大変嬉しく思う。また、ご講演も大変素晴らしかった。個人的な質問だが、感覚のある生物、つまり人間である以上、物事に対する感覚は誰にでもあるが、現世において猊下にとって最も喜ばしいご経験、そして最もお辛かったことを教えてほしい。
    (米チャンネルJ)

    ダライ・ラマ法王:

    たくさんありすぎて、どれを話したら良いか…。(笑) 私は、誰かに会う時、たとえ面識がなくとも、お互いに人間同志として大切な微笑みを絶やさないようにしている。そうして、まるで古くからの友人のように相手から応対されると 「なんて素晴らしいんだろう」という気持ちになる。私たちはみな人間という家族の一員である。このことを考えれば、自己紹介などなくてもお互いを自然と理解することができるし、自分の感情の状態から相手がどのように感じているか推し量ることもできる。このような状況で、相手が私に同じように接してくれた時、「この上ない満足感と喜びを覚える」と確信を持って言える。

    しかし、誰かに会って微笑みを浮かべても、相手から「この人物は誰だ」と怪訝な応対をされたときには、少々きまりの悪いような、落ち着かない気持ちになることがある。このことはさほど問題ではない。その人が私の顔を見ていやな顔をすれば、私もその人の顔を見ないようにするだけのこと。双方の態度は全く同じことになる。(笑)

    最も悲しかった、これまでで最も辛かった日について思い出してみると…、そう最も悲痛な思い出は、1959年にインドとの国境を越えた日のことが挙げられよう。その日は、何百人ものチベット人、その大部分は護衛兵だが、私に別れを告げた後、私はインドへと進み、彼らは元来た道を引き返して行った。彼らの行く手には紛れもなく死が待っているということは知っていたはずだ。その時、私は彼らの勇気を称える一方、この世で彼らに会うことはもうできないという思いをかみしめていた。ほかにも多くの悲しい出来事もあるが、あの別れは中でも最も辛い経験だ。

    質問:

    猊下、世界中のあらゆる立場の指導者から経済界の指導者に至るまで、世界中の非常に多くの人たちがあなたを支持している。いまだ交渉、特に経済的な交渉は続けられているが、チベット問題は置き去りにされているのではないか。アメリカ、中国、そしてチベット人による交渉が続けられている今日、また、ジュネーブにおける人権問題について何かコメントがほしい。
    (スイス・ラジオ・インターナショナル)

    ダライ・ラマ法王:

    中国に関する私の見解は、「友好的な関係が不可欠である」ということだ。なぜなら、中国は世界最多の人口を有する広大な国家であり、長い歴史を持つ国でもあり、世界で重要な役割を果たしてきた。この役割は将来的にはより重要なものへと発展していくだろう。このような状況下で中国の孤立化を招くことは誤った方策だ。

    しかし、中国は国際社会で中心となる立場に協力すべきである。そうすれば、より緊密な経済分野において、友好的な関係が自然なものになり、中国にとって、経済の分野も国際社会における自国の立場にも利益をもたらすものになる。

    そのような友好的な関係のもとにおいてこそ、中国の指導者、そして中国の相手国たちが、人権、民主化運動、信仰の自由化、そしてチベット問題といった現在の主要な諸問題を明確に意識することができるのではないか。 この地球という小さな惑星のいたるところで、「平等」という言葉が絶えず叫ばれている。正義、人権といった言葉もどこでも耳にするが、実際のところ、権力ほど影響を与えるものはないだろう。正義が表に出る幕はほとんどないといっても過言ではないと思う。

    これは実に悲しむべきことだ。なぜなら権力を持たない国家は被害者の立場に置かれるのが常であり、国家の中でもまた、権力を持たない人々が一番の苦しみを被ることになるからだ。この悲惨なあやまちをもっと真剣に考えなければならない。

    もちろん、一晩で事態が変わることはないが、このような状況に置かれているということを、訴えることが大切なのだと思う。今の重要な質問に対する私の答えは、チベットが抱える問題に対して多くの人が積極的に支援してくれていると感じている、そして私は困難を感じた時もすぐにとても勇気付けられる、ということだ。成果はまだ完全ではないし、現状には満足していないが、これから事態は改善されていくだろう、と確信している。

    環境や人権等の問題を世界共通の課題として提起することは、良い傾向だ。20世紀は人権等の面で進歩が見られたが、まだまだ我々は努力していかなければならない。

    私たちは、肉体を持つ存在として当然感情を持っている。もし、今ここで私がある人の頬を殴ると、その人は痛くて不幸な気分になる。次に、その人が他の人を殴る。その人から殴られた人も痛くて辛い。人間誰しも同じなのだ。誰でもそうした要素を持っているのだ。動物でさえもいじめられたり脅されたりすると、同じような反応を示す。 このように、私たち人間は、他者に対して、社会をより良くするために責任がある。

    質問:

    私がチベットにいたときには、状況が改善されているようには見受けられなかった。というより、まったく改善はなかったと思う。
    (スイス・ラジオ・インターナショナル)

    ダライ・ラマ法王:

    そんなことはない。これは私が答えなければならない別の質問になると思う。確かに、チベット問題をチベット地域に限定して考えるとそこに希望はない、と感じてしまうかもしれない。状況は悪くなる一方だからだ。

    ことに、中国政府の方針や、残忍で偏った考えを持つ現地の役人たちが暴力以外の手段を持とうとしないのをを見ると、そのように感じるのは当然だと思う。なかでも中国当局の、チベット人の信仰と独自の文化的遺産こそがチベットと中国の「統一」を最も妨げている、という偏見こそが、チベット問題の一番の原因になっていると思う。このような偏見に基づいて中国は、チベット人の信仰、文化を排斥しようと躍起になっているのだ。チベット問題をチベット地域内だけでとらえると、状況は絶望的、と言えるかもしれない。

    しかし、視野をもっと広げてみると、状況は明るい方向へ変わっていくと思う。だからこそ、私も広い視野と限りない希望を持ちつづけているのだ。さまざまな形で寄せられるチベット支援にはいつも励まされている。

    質問:

    中国の一部でありながら純粋な自治とはどういうことか。(日本テレビ)

    ダライ・ラマ法王:

    1950年代、毛沢東は、チベットが中国の各州と比べユニークなものである、と述べ、チベットに対して特別な配慮をしていることを表明した。しかし、現実には、どこがユニークかというと、他の州に比べてチベットが極めて弾圧された地である、という点である。

    質問:

    中国国内で法輪功などの集団が信者も増大し頻繁に活発化していることについて。また、中国政府はこれに対し徹底的に弾圧しているようだが、これについてどうお思いか。(日本経済新聞)

    ダライ・ラマ法王:

    まず「法輪功」について、私は何の関わりもないから分からない。しかし、「法輪功」によって、ある人たちにはためになっていることなども聞いている。どのようになっているかは、まず調べる必要がある。この「法輪功」に関しては、中国政府は過剰な反応を示したと思う。

    質問:

    チベット以外に住む者の中には、力に訴えることを提唱する者もいる。力に訴えることでチベットを中国支配から解放することができるのか、また、法王自身、そのような人たちと連絡を取っているというのは本当なのか、お聞きしたい。
    (サンフランシスコ新聞)

    ダライ・ラマ法王:

    そのような者から連絡を受けたことはない。しかし、チベット内外に過激な意見を持つ者がいることは周知の事実である。彼らは、私の平和的な取り組み方を批判するだけではなく、なんらかの暴力的手段が必要だと唱えているようだ。

    色々と意見はあるだろうが、私が訴えたいのは、第一にすべての人が納得できるような解決策を見つける必要がある、ということだ。現実には、好むと好まざるにかかわらず、人間はお互い隣り合って暮らしていかなければならない。これは、チベット人、中国人にとっても同じである。だから、将来にわたって幸せで落ち着いた生活を営みながら友好的な関係を築いていくには、自由を獲得する運動を推し進めていく一方で、人類の慈悲心を失わないよう非暴力主義を貫くことが非常に大切なのである。

    先に話した中国の役人に対しても、敬意と慈悲心を持ちつづけながら中国政府の行動に反対することは可能なのだ。そうすることで、私たちの目標が尊い価値を持つものになるのだと思う。目標達成のために暴力、流血沙汰を引き起こしてしまうと、尊さ、正義、といったものが失われることになる。

    だから、非暴力をあくまで貫くということはとても大事なのである。 さらに付け加えると、チベット問題の解決策は何よりもまずチベット人と中国人によって見出さなければならない、ということである。もちろん、諸外国の支援により、相互理解をより深めることは可能であろう。

    しかし、真の解決はチベット、そして中国の双方によってなされなければならないのである。実は、中国政府が何と言おうとも、中国の知識階層、芸術家、哲学者、思想家、作家という人々からの支援は、非常に重要な位置を占めているのだ。

    今日に至るまで、情報が厳しく制限される中、各地からのチベットに関する情報は、知識階層や作家の間に広まり、その結果、チベット問題に関する意識が高まっている。 このようにチベット問題が知られるにつれ、共感、連帯感がそのような人々の間で育ちつつある。このことは私を非常に励ましてくれる。もちろん限られた人々の間でのことではあるが、勇気付けてくれることに変わりはない。

    質問:

    法王の「チベット自治」と中国の「チベット自治」の食い違いについてどう思われるか。(楽楽チャイナ:中国のケーブルテレビチャンネル)

    ダライ・ラマ法王:

    (お付きの者から中国の記者と紹介されてちょっと驚いた表情で)
    えっ、中国かい。それはいい!(法王の破顔一笑に 会場一斉に笑い声)どこの出身かい? 上海…、そう。では、質問にお答えしよう。

    中国の憲法では、「チベットの自治」がはっきり明記されている。しかし、実際には実行されていない。例えば、1980年代、当時の胡燿邦総書記がチベットを訪問した時、公式にこう謝罪した。 「中国はチベットに大変な額のお金を注ぎ込んだと言うが、そのお金は一体、どこに使ったというのか」と。

    中国中央政府に対する提案は、次のようになるだろう。まず、チベットの真の現状を調査してほしい。公正な立場の人間がチベットに赴き、実際の状況をありのまま調査し、チベットの各地を訪問し、そこでの状況がどのようであるか調べるべきだと思う。そうしないと現地の役人の報告に基づいてすべてが同様に判断されてしまうことになる。そういう報告には先入観、誇張が含まれるのが常である。

    また、チベット仏教が果たす役割、そしてチベットの文化遺産についても調べてほしい。チベットの文化遺産が害をもたらすものなのか、益となるものなのか、一人間としての立場で研究し調査することは非常に重要なことだと思う。

    とりわけ私がとても大切であると思うのは、言論の自由と情報公開である。これらは、国家が発展し、国民が知識を増やし、意識を高めるためには欠かせないものである。しかし、厳しい制限下で部分的な情報のみが明らかにされるのはかえって危険である。もし中国政府の方針が正しいのなら、どうしてこれほど多くのことを隠す必要があるのだろう?

    中華人民共和国というのは偉大な国家である。私自身、中国には称賛、畏敬の念を持っている。しかし、中国だけがこの世界を占めているわけではないのだから、世界中の流れに沿った行動が求められているはずだ。

    最後になるが、もしこの記者会見の模様が、中国で、(質問した中国人記者に向かって)君の、テレビ番組で放映されるようになるなら、それは私にとってこの上ない喜びとなるだろう。そのときには、私はもっとたくさんの提案をしたいと思う。ありがとう!謝謝!

     

  • 4月18日「自信と決意持って人生を」ダライ・ラマ14世が呼びかけ


    2000年4月18日
    京都新聞より抜粋

    京都訪問中のチベット仏教最高指導者で、ノーベル平和賞受賞者のダライ・ラマ14世が17日、京都市左京区の国立京都国際会館で開かれたフォーラム「環境と人間−新しい生き方を求めて」に参加し、「生きていくことは簡単ではない。だが心に自信と決意を持って人生を歩んで下さい」と若者に呼びかけた。京都での日程の2日目で、16日の講演に引き続き京都精華大(左京区)が企画した。笠原芳光京都精華大名誉教授やフィンランドトランスパーソナル心理学会のレオ・マトス会長らもフォーラムに加わった。フォーラムでは、環境問題について討論した。ダライ・ラマ14世は仏教の「因果」や「縁起」という考え方を引用しながら話し、「後の世代が幸せな環境で暮らせるように、今、私たち個人の熱意と努力が必要だ」と訴えた。

    会場には約1,800人の市民が集まった。参加者の質問にダライ・ラマ14世が直接答える場面もあり、市民は真剣な表情で話に耳を傾けていた。

     

  • 4月17日「思いやりといたわりと」ダライ・ラマ14世が京都で講演


    2000年4月17日
    京都新聞より抜粋

    チベット仏教の最高指導者で、ノーベル平和賞受賞者のダライ・ラマ14世が16日、京都市左京区の京都精華大で講演した。チベット独立運動の精神的象徴とされ、中国政府が来日に反発する緊迫した中での講演会となったが、ダライ・ラマ14世は市民らとの触れ合いを楽しみ、「思いやりの心をもってほしい」と訴えかけた。京都精華大が環境社会学科の新設を記念して招待した。ダライ・ラマ14世の来日は、2年ぶり7回目。講演会と、17日開催の国立京都国際会館でのシンポジウムに一般参加者を募集したところ、総定員2,900人に対して22,000人の応募があった。ダライ・ラマ14世は、中国のチベット侵攻後の1959年にインドに亡命。中国政府はその言動に神経をとがらせている。日本政府は「政治的活動を行わない」との条件で今回のビザを発給した。

    京都精華大は講演を前に、職員とボランティア学生ら約110人を会場の体育館内外に配置する一方、一般参加者の身分証明書や手荷物をチェックするなど、万全の態勢で臨んだ。

    会場は、学生や市民ら約1,800人で満席。大きな拍手で迎えられ、ダライ・ラマ14世は赤い僧衣に身を包んで登壇。「自然との共生を求めて」のテーマで、人の心の平安や科学技術偏重など現代が抱える問題を平易な言葉で語りかけた。その上で、「すべての人が心の平安を得るため、1人ひとりが身近な人への思いやりと、いたわりの心をもってほしい」と、メッセージを送った。

    会場からの質疑では「コミュニケーションが苦手で、どう克服したらいいか」と質問した女子学生を壇上に招き、「人間には、だれもがやさしい心がそなわっている」と諭し、軽く抱擁した。平和について問われた時には「破壊と暴力はもうたくさんだと、人類は切実に感じている」と、言葉を選ぶように答えた。

    ダライ・ラマ14世は、花を贈ってくれた女子学生たちと壇上で肩を組み、記念撮影におさまる場面も。会場を出た後、乗用車から降りて学生たちの輪の中に入り、質問にていねいに答えていた。参加者からは「チベットの置かれている政治状況について聞きたかった」との声も聞かれたが、ダライ・ラマ14世に親しみを感じた様子だった。

     

  • 4月14日ダライ・ラマ「戦争は時代遅れ」- 千葉市内で若者30人と懇話会 –


    2000年4月14日
    時事通信
    AP Photo / Koji Sasahara
    AP Photo / Koji Sasahara

    来日したダライ・ラマ14世と日本の若者との懇話会が14日午後、千葉市内のホテルで行われ、学生や社会人約30人が参加した。

    懇話会は非暴力運動をする市民団体「ミラレパ基金」が主催した。

    ダライ・ラマ14世が合掌した姿勢で現れると、参加者からは拍手が。

     

    AP Photo / Koji Sasahara
    AP Photo / Koji Sasahara

    「現代の世界は互いに依存し合う共同体。地球全体がファミリーとなり、今や戦争は時代遅れだ」などと、時にはユーモアを交え熱心に話すダライ・ラマ14世に、参加者は身を乗り出して聞き入った。

    また、チベット問題については、「正義にかかわる問題であり、そのために頑張っている」と語った。

     

  • 4月13日ダライ・ラマ 成田空港に到着


    2000年4月13日
    毎日新聞より抜粋
    (Kimimasa Mayama / Reuters)
    (Kimimasa Mayama / Reuters)

    チベット仏教の最高指導者でノーベル平和賞受賞者のダライ・ラマ14世が13日朝、インド・ボンベイ発デリー経由のエア・インディア機で成田空港に到着した。

    京都精華大学の招きによる来日で、東京、京都、静岡などで仏教講義や講演を行い、20日に離日する予定。

    午前8時15分、飛行機から降り立ったダライ・ラマは、赤いそでなしの僧衣姿。到着ロビーで出迎えた約20人の支援者らと、手を取り合ったり肩を抱き合った。

    ダライ・ラマは柔和な笑みを浮かべながら、体の前で合掌する仏教式のあいさつをし、空港ターミナルビルに横付けされた迎えのハイヤーに乗り込み、パトカーの先導で滞在先のホテルに向かった。